こんぴゅーたの中で何が起きているのか、はぢめて考えてみた時の事

それはパックマンだった──ナムコのオリジナルだったかどうかは定かではないけども。デッドコピーが蔓延ってた時代だものね。

その年に入学した中学校には、当時の御多聞に洩れず『テレビゲームは禁止』などという馬鹿げた校則が罷り通ってた。だもので、まだ周囲からの『お前は真面目な子だ』との謂れ無き呪縛〔笑〕から逃れる術を知らなかったあたしは、指を咥えてそのゲームの画面を眺めていたのさ。

しかしながら一方では当時としてはかなり珍しく、その中学校には『マイコンクラブ』が存在していた。その時点で所属していたわけではないのだけれど、文化祭の展示等で、既にあたしは『マイコン』乃至『パーコン(今で言うパソコンね。当時はこの略し方もあったの)』と呼ばれる物の存在は知っていた。そして目の前の業務用ゲーム機が、その親戚である事も。

文化祭でクラブ員達が誇らしげに展示していたゲームは、説明によれば彼らの自作の『プログラム』だと言う。それを思い出したあたしは、では、目の前のゲーム画面は一体どうやって実現されているのだろう、と考えたのさ。

そう、その時のあたしは、『プログラム』というものの概念を全く知らなかった。

なので、最初に考え付いたのは──『生じ得る全ての状態のフレームがこの中に格納されている』だったのだ〔大笑〕。つまり、レバー操作等によって逐次フレームが選択されて表示される、『プログラム』とはその状態遷移ツリーの事である、と。

ゃ、まぁ、今だから大笑いできるけど。その時は大真面目。とは言え直ぐに気付いたのだけど。そんな大量の情報を入れておけるものだろうかって。

そうじゃないんだろうな、と思っていても、では実際にはどうやっているのか、結局その年には解らずに終わったはず。と言うのは、だ。次の年に件の『マイコンクラブ』に入り、そして遠慮して JR-100 をねだったあたしに MZ-80K2E を買ってきてくれた太っ腹な両親のおかげで、あの伝説の『オレンジ本』読み漁ることが出来て。ついに『キャラクターは独立して別々に表示すればいいんだ』という考えに辿り着いて、単純とは言え自作のゲームプログラムを組んだのは、その秋頃だったから。

そして四半世紀後の今、あたしはプログラム組んで御飯食べてる〔ぱくぱく〕。